5月10日〜しばし休養〜
さすがに疲れがたまったのか、ここのところ眠くてたまらない。最近は目覚ましの音も聞こえず、朝やっている工事の騒音もまったく耳に入らず、ともするとハッと気がつくと8時半、やばい!といったこともしばしば。以前は6時半頃に一度目が覚めていたというのに、この違いよう。最近何かで「繊維質を多く摂ると眠くなる」といった話を読んだけれど、食生活も関係あるのかなあ。
夕食を終えて部屋に戻って、もう我慢できないとばかりにベッドに倒れ込む。途中なんどか目は覚めたけれど、またもや8時過ぎまでぐっすり。ああ、でももう少し朝寝がしたいなあ・・・。
5月11日〜書いても書いても〜
ロスから帰ってきてから、ひたすら英文を書いている。みそ汁についての記事、以前書いた記事2本の修正、VRGに関するリポート、英文で来るe-mailの返事、そして今日はVegetarian Timesという雑誌へのレター及び自分の経歴書(ちょっと売り込み)・・・前よりは文法的なことを意識して書いているのだけど、なかなか初歩的なミスがなくならなくて(意味が通じない、と言われるとガックリくる)、8月までに"Perfect"のコメントがもらえるようになるのかなあ、とちょっと気が重くなる。ほんと、文章の上手い下手はともかく、「正しい英語」が早く書けるようになりたい!! Writing&Grammarのテキストを数冊抱えて、青息吐息といったところ、でもいくら本ばかり揃えても「勉強」しなきゃ始まらないんだよね・・・。寝てる場合じゃないのだ!
5月12日〜あの日に帰りたい〜
再び英語について。アメリカに来て、実は英文法のごく基本的なことが身に付いていないということがわかり愕然とする。単数形・複数形、時制の主語・動詞の一致なんて中学生の授業で習ったはずなのに、しゃべる方でも書く方でも、いざとなると混乱するんだなあ、これがまた。返ってきた原稿の直しを片手に参考書をにらめっこしながら、「ああ、referにはtoがつくんだった」といった動詞と前置詞の組み合わせだの、whichとthatの用法の違いだのを今更ながらおさらいしている。イディオムの練習問題を勉強しながら、こんなのどっかで経験したぞ・・・と、よくよく考えてみると、そう、まるで受験勉強。(まじめに机に向かわざるを得ない、という意味でも。)受験勉強ならさんざんやったはずなのに、いったい何がどれだけ残っているのやら。もう一度あの頃の柔軟な脳細胞が欲しいなあ、と記憶力の衰えにむち打つ日々なのであった。
5月13日〜ゴミ置き場は宝の山〜
オフィスに行ったら、隣の家の前に粗大ゴミが捨ててあり、そこにはテレビが2台も! 「ER」が観たい観たいと思っていたので、早速えんやこらとオフィスにかつぎこんで映るかどうか試してみる。1台はまったくダメ、もうひとつの方はなぜかCBSだけが鮮明に映りあとは雑音だけ。「ER」はNBCなので、どうしたことかと思ったが、アンテナを買って様子を見ることに。
家に戻ってアンテナをテレビにつなげようとしたが、どうも接続するところが違うみたい。電器屋までは歩いて15分ほどかかるので、一瞬迷ったけれど、「ER」見たさに重い腰をあげる。電器屋さんは「それじゃあ、このコードを使って」とこともなげに言い(最初からつけてほしかった・・・)、ドキドキしながら家路を急ぐ。今度は、映った!! 画像にノイズは入るけれど、全然映らないよりはよっぽどマシ。早く10時にならないかなあ、と胸をふくらませながら「ER」を待つ。(神様ありがとう!)
5月14日〜「面接の達人」in the U.S.A.〜
Darに続いてTamaraも8月で辞めることになり、今日、就職希望者が面接にやってきた。「いい経験になるから立ち会ったら」とCharlesに言われ、同席させてもらう。と言っても、面接場所となるCharlesの部屋は散らかっていて、そこら辺にある椅子に銘々座り、足なんか組んじゃったりして・・・と、超カジュアルなスタイル。志願者は健康食品店で働いていたというDrewというお兄ちゃんで、次々と繰り出されるCharlesの質問によどみなく答えている、いや、よくしゃべる。「君の長所は?」という質問に2分くらいかけて答えていた。(これがまた説得力あるんだ。)質問内容はかなり実際的で、「コピーがこわれたらどうするか」「100通の照会にどう対処する」「謝罪の手紙を書け」「Vegetarian Journalを何冊売ったら利益は何%になるか」などなど、Charlesのキャラクターもあるのだろうが、アメリカってとことんプラクティカルな国なんだなあ、と実感する。
Davidaによると、VRGのjob interviewは長いのが恒例で、半日かかるのはあたりまえ(そのうち2時間くらいはCharlesの語りらしい)、でもそれは「ほぼ合格」のサインなんだそうだ。Drewも午後いっぱいオフィスにいたので、彼がTamaraの仕事につく可能性は高し、と見てよさそう。(でも、今までTamaraが座っていた場所に背の高いお兄ちゃんがいる光景は、なかなか想像できないなあ・・・)
5月15日〜アニマル・シェルター〜
Jessicaは毎週土曜日、SPCAというアニマル・シェルターでボランティアをしている。ベジタリアンと動物愛護運動はかなり関係があるため、一度見に行きたいと思っていたので、今日は同行させてもらった。ちなみにJessicaによると、職員やボランティアのほとんどはベジタリアンではないらしく、その点にも興味を持ち(要するに彼らにとっては「犬と猫」だけが「愛すべき動物」で「牛・豚・鶏」にはシンパシーを感じないということになり、その辺の違いを聞いてみたいのだ)、ちゃんとアポイントメントをとってインタビューさせてもらうことにする。これは、上手く話を聞ければすごくおもしろい記事になるだろうなあ、掲載のあてはないけど。
SPCAには年間5千頭近い犬・猫が送り込まれてくる。幸いにも2ヶ月ほどで彼らのほとんどは引き取られていくらしいが、それまでの期間をケージの中で過ごす。Dar,Davida,Tamaraはその点においてアニマル・シェルターには反対の意見を持っているそうだけど、スペース・経費が限られた中でどこまでできるかの線引きは確かに難しい。(ちなみにSan FranciscoのSPCAの設備は超豪華で、猫用のテレビまであるらしい。)こういう施設がなければ、文字通り彼らは路頭に迷うことになってしまうのだから。
Jessicaたちボランティアの仕事は、動物たちをなでたり、散歩させたり、といったコミュニケーションが中心。ケージの中の掃除や餌をやることではないのがおもしろい。確かに、動物たちは設備だけでなく「愛情」も必要としているのだ。キュンキュンと切ない鳴き声を聞いていると、胸が痛くなる。2時間半、さまざまな種類の犬猫、そしてJessicaが彼らと接しているのを見ているだけでも、まったく退屈しなかった。来週はいよいよDarがボランティアをしているPig Sanctuariに出かけるぞ!
5月16日〜贅沢、そして果てしなき欲望についての考察〜
昨日、食後にインスタントコーヒー(一番安いやつ)を飲みながら、「ああ、美味しいコーヒーが飲みたいな」と思っている自分に気づいて愕然とする。ここに越してきた頃は、インスタントで十分だったのに。生活が落ち着いてくるにつれ、初めはなくても平気だった物が欲しくなってきた。(良い例がテレビ。)何分仮住まいでもあり、今は無収入なので、できるだけ質素にシンプルに暮らそうと思っていたのだけど、油断していると物が増えてしょうがない。食料品の棚、冷蔵庫もいっぱい。人間の生活にはどれだけの物が必要なのか、時々考えてしまう。特に、「消費大国」アメリカにいると、余計な物を買わない、というのがいかに難しいか。
森茉莉の「贅沢貧乏」という考え方が大好きなのだけど、一歩間違うと「貧乏たらしく」なるのが微妙なところ。「物」によって生活ひいては気持ちの持ちようが豊かになることは確か。例えば、今家具代わりにしている段ボールが趣味の良いテーブルだったら、この部屋の景色はどれほど素敵になるだろう、と思う。でも、物が増えるにしたがって、どんどん身動きが不自由になるのが気に入らない。江戸時代の長屋の住人のように、柳行李ひとつでどこにでも移動できる「自由」にも憧れるから。「シンプル」に「美しく」生きるためには、よほど厳しいポリシー(あるいはスタイル)がなければ。
「美しい」かどうかは別として、ベジタリアンの食生活は比較的「シンプル」であることには違いない。逆に、人はなぜ肉を食べるのか、考えると、それは結局「美味い」から、というのが一つの答え、じゃあ「美味い」ものを求めるために人はどこまで突き進めるのか、一度「美味い肉」を経験してしまった後に「これは”感情”のある動物を殺して作られたもの」ということを知っても、すんなり肉食はやめられない・・・自分自身を考えても、これだけベジタリアン生活にどっぶりつかっているのに時々肉が食べたくなる(鴨南蛮とか・・・)し、だからと言ってそのことについて罪悪感を抱きたくはないという想いが一方ではあり、ここのところでいつも「ベジタリアン」に対するスタンスを測りかねてしまう。彼らは正しい、でも「人間ってそんなに単純じゃないんじゃないか」と全面的にうなずけない気持ちが残っている。とはいえ、戦争にしても環境問題にしても、「人間の欲望」を際限なく認めたらとんでもないことになるわけで、その線引きをどこでするか、バランスをどうとるか、考え出すと答えの出ない袋小路にはまりこんでしまうのだった・・・。
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